ビューリーズの歴史
アイルランドの人なら誰でも知っているビューリーズですが、ビューリーズには長い長い歴史があります。
「ビューリー家」は、もともとフランスの出でしたが、14世紀に北イングランドへ、その後ヨークシャーに移住します。
17世紀の宗教動乱の際にはクウェーカー教会の特別メンバーになり、18世紀にマンゴ・ビューリーは宗教に対する規制の厳しかったイギリスからアイルランドへ移ります。
1780年頃、従業員150人のリネン工場をもち、リネンや絹織物などの事業を始めます。
1820年にサミュエル・ビューリーは貿易業、船舶炭鉱オーナー、金融業など幅広い事業を行いダブリンの商業界の第一人者になります。
1833年以降、アジア貿易を独占していた東インド会社の崩壊を機に、サミュエルの息子、チャールズ・ビューリーが1835年に中国の広東に大量に茶葉をアイルランドへ直接輸入しました。
それが、ビューリーズ紅茶の歴史のはじまりでもあり、アイルランドの紅茶のはじまりでもあります。
1840年にチャールズの兄弟のジョシュア・ビューリーがビューリーズ社を設立し、その息子アーネスト・ビューリーが1894年にコーヒーを輸入を開始した際に、夫人スーザンの焼いたスコーンとコーヒーを一緒に提供する「ビューリーズオリエンタルカフェ」を開店しました。
当時、オリエンタルな壁紙、色鮮やかなステンドグラス、マホガニーの家具、真鍮の調度品、行き届いたサービスは大変ファッショナブルで、人々の憧れであり、アイルランド文化のシンボルとなりました。
ビューリーズカフェはその後も「ユリシーズ」で有名な文豪ジェイムスジョイス、映画「クライング・ゲーム」の脚本家ニールジョルダン、U2、哲学者ウィトゲンシュタイン、メアリーブラックなどが足繁く通い、文化の溜まり場でもありました。
「風と共に去りぬ」の続編「スカーレット」や、推理小説「ジョイス殺人事件」にも登場します。
今でもアイルランドの首都ダブリンの中心街グラフトンストリートには当時の面影を残した建物が大切に保存されています。